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前回からの続き

前回の記事で田中秀臣氏のツイートを載せた。

そんなわけで、内橋克人宇沢弘文『始まっている未来 新しい経済学は可能か』の当該箇所を読んでみた。

当該箇所とは、ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)についてのことだった。

今回、ローマ教皇の来日は38年ぶり2回目だそうだが、初めて来日したのがヨハネ・パウロ2世 だった。この教皇広島市長崎市を訪れているので、今回の教皇ヨハネ・パウロ2世真似をした前例を踏襲したのだろう。

さて、当該箇所の中身は《二つの『レールム・ノヴァルム』》という見出しの宇沢氏が語っている部分だ(p91-94)。

この部分を簡潔に書かれているものがネット上にあったのでこれを引用しよう。

最初の「レールム・ノヴァルム」は、1891年5月15日に「レールム・ノヴァルム 資本主義の弊害と社会主義の幻想」(Rerum Novarum - Abuses of Capitalism and Illusions of Socialism)という題でローマ法王レオ十三世が出した回勅で、行き過ぎた資本主義によって労働者や一般庶民は無神論唯物史観社会主義共産主義)への移行を望んでいるが、それは幻想に過ぎないとした。これは、カトリック教会が社会問題について取り組むべきことを指示した初の回勅であった。

これに対して、宇沢先生の進言を受けて1991年5月1日にローマ法王ヨハネ・パウロ二世が出した回勅は、「新しいレールム・ノヴァルム 社会主義の弊害と資本主義の幻想」(New Rerum Novarum - Abuses of Socialism and Illusions of Capitalism)というもので、共産主義の弊害が明らかになった冷戦末期において、行き過ぎた資本主義の幻想に対して警告を発したものであり、社会主義と資本主義の二つの経済体制の枠組みを超えて、新しい世紀への展望を開こうというものである。

出典:宇沢経済学の根底にある「人間尊重」とは何か | 今週のHONZ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

宇沢氏はヨハネ・パウロ2世との回想を好意的に語っている。

これに対して田中秀臣氏は《「世田谷自然左翼」の最終的形態というか、そのご本尊のひとつがローマ教皇。》だと言っている。田中氏と宇沢氏の経済学上の考えが違うようなのだが、私にはどう違うのか説明できない。

田中氏がローマ教皇に対して批判しているのは、ローマ教皇が「宗教はアヘンだ」などと言っている共産主義を批難する一方で行き過ぎた資本主義も批判しているところだと思う。

「なにか社会に貢献したいという思いは空回りし、その一方で既得権益は絶対に離さない」というのは間違っているだろうか?