サブブログとハサミは使いよう

「適切な努力」とホモサピエンス

《現代人にインストールされた「適切な努力をすべし」という規範意識

興味深いブログ記事があった。

p-shirokuma.hatenadiary.com

現代人は受験や就活などで、「適切な努力をすること」が「サバイブしていくには必要なもの」だということを身をもって実感して、規範意識としてインストール、強化されていくとのこと。

「適切な努力をすること」ができるようになったのは進化のおかげ?

しかし、私が上の記事タイトルを見て、この記事には「適切な努力をすること」は人類の進化に関係があるということを書いてあるのではないか、と期待したのだが的はずれな期待だった。

私が思った人類の進化の上での「適切な努力をすること」は、メインブログの記事「先史:ホモ・サピエンスの「心の進化」/現代的行動 - 歴史の世界」で書いている。

現代人=ホモ・サピエンスは脳みそが大きいので、先人に教えられたことや過去の経験を覚えておくことができ、そしてそれらを材料にして未来を予測することができる、そしてその未来予測に沿って行動することができる。

言い換えれば、未来予測に沿った行動をすることはDNAに組み込まれたことではなく、脳容量が大きくなったことによって生まれた現象だ。最近の数万年間で起こった文化も脳容量の肥大化のおかげだ、たぶん。

余談

しかし現代人が「適切な努力」をどれほどしているのか?各自 自分の胸に手を当てて考えれば疑問・疑念が沸き起こってくるだろう(私は沸き起こってこない人になりたかった)。

現代人にも本能的な感情があって自分でそれを処理できない。これが「適切な努力」を邪魔するわけだが、感情をすべてコントロールできて「適切な努力」を完遂できたとして、はたしてそれが幸せかどうかが気になるところ。「適切な努力」をデキる人はそのへんも判断して行動できるのだろう。

「適切な努力」をしても適切だと思っていたことがそうではなかったということも多々あるし(インプット不足)、世の中のほうが適切に動いてくれないことだってある(まあ「自分ではなく世の中が悪い」論はほぼ100%妄想なのだが)。

とりあえず「努力」という言葉がアレルゲンな私のような人は、「適切な努力」を「幸せになるための選択」と言い換えたらどうだろう。

幸せになるために朝早く起きて、幸せになるために残業して、幸せになるために税金を払うのだ。「幸せになるための選択」。