サブブログとハサミは使いよう

たぶん、日中韓の儒教は違う

日中韓の人々はひと目では見分けがつかないほど容姿が似ているが、考え方はかなり違う。外交で「話せば分かる」というテレビコメンテーターや政治家がいるが、そんなわけがない。石平氏によれば、中国人どうしですら話してもわかり合えないんだから。

この記事では、儒教についての3国の違いを書いていく。

中国の場合

儒教の本場、中国。

儒教と言えば孔子様だが、孔子儒教的な素養を誰から教わったかと言えば、おそらく母親だ。母親は原儒と呼ばれる。原儒

孔子以前の儒というのは元々お葬式のやり方から興ったらしい。ただし、現代日本の葬式とは全く違い、魂を呼び寄せるなどの儀式(?)をしていたらしい、原儒とか当時儒家と呼ばれていた人たちはいわゆるシャーマンだった。

孔子はシャーマンだった母親から葬式のマナーを教わったか、そばにいて見ていたようだ。

このマナーを洗練して体系化したのが孔子ということだ。

儒教の死生観 参照)

儒教の本来の基本は「孝」

孔子の時代前後、「儒」の基本は、もともと「孝」にあった。なぜ「孝」であったかといえば、血族や家族が「家」にまつわる死者を慰撫する原儒の本来からして、生前に「孝」を積んでおくことが最も有効であると思われていたからだった。[中略]

完全な身体を父母から与えられたのだから、その完全なシステムを父母に返すこと、さらには祖先に返すこと、それが「孝」なのである。

出典:1205夜『儒教とは何か』加地伸行|松岡正剛の千夜千冊

儒教において「仁(おもいやり。いつくしみ)」は最高の徳目である。この「孝」を赤の他人にまで広げたのが「仁」または「仁愛」だ。

しかし、現代中国人は「仁」を重んじない。只々「孝」に尽くす。なぜ「孝」に尽くすのかといえば、中国社会が宗族社会だからだ。宗族を簡単に言ってしまえば一族だ。血縁関係のある村社会をイメージすれば分かりやすい。

ある者が宗族に尽くせば宗族は彼を難事から救ってくれる。裏切らない。しかし赤の他人は裏切るし、裏切っても全く心が傷まない。それが中国人。

結局のところ、中国における儒教とは葬式であり、「孝」であり、宗族だ。中国における儒教孔子以前の儒であると言いかえられる。

韓国の儒教

韓国の儒教朱子学だ。

李氏朝鮮の国教で、李氏朝鮮が500年も続いたのだから根付いてしまった。

朱子学は「性即理」とは、自分の思ったことがそのまま現実になること(韓国のデタラメ・トンデモ・嘘八百。由緒正しきその伝統。「誣告」「避諱」「性即理」の三連コンボ。|山岡鉄秀(AJCN代表) & 和田憲治(OTB代表)のTSJ1|OTB - YouTubeで言ってた)。

韓国人による韓国史がファンタジーなのも、根拠ない「SEX SLAVE」を信じているのも、韓国が日本より「上」だと思い込んでいるのも「性即理」のせい、なのかもしれない。

日本の儒教

多くの天皇の諱に「仁」があるように、日本も儒教を受容している。

ただし、日本は本場中国と海を隔てているため、中国人が大量に押し寄せるようなイベントはほどんど無かったため、ほとんどの場合儒教は知識としてのみ入ってきた。

そして、日本に使えるところだけ受容して他は捨てた。

書店で売られている「ビジネスに使える論語」みたいな本をよく見かけるが、儒教が日本に流入してから時間が経ち、長い年月をかけて残ったものは日本人にとって有用なものだけとなった。そして日本人が「儒教」と思っているものは「論語」などの日本人に有用な部分だけだ。

日本人が「論語」をありがたがっているのは、日本人のために選別された(厳選された)「論語(の一部)」をありがたがっているだけだ。

雑な文になってしまったが、要は儒教という言葉を聞いた時に、話者がどの意味で儒教という語を使ったのか考えなければいけない。まあ、儒教だけではないんだが。